月灯りの下
闇の世界に差し込む光を追い求めて
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ありがとう、
To the killer
(殺し屋へ)
(殺し屋へ)
Please kill Elisa・Caddick that lives in the Canterbury town.
(カンタベリー街に住む、エリサ・カディックを殺してくれ。)
(カンタベリー街に住む、エリサ・カディックを殺してくれ。)
Dhalis・Cedica
(ダリス・セディカ)
(ダリス・セディカ)
* * *
まだ明るいにも係わらず、光りが届かない暗い路地。
そこを老婆がひとり歩いている。
そして、老婆が行く先には、汚い布に包まった少女が倒れていた。
それに気付いた老婆は少女に駆け寄り、躊躇した後、その細い肩を揺らした。
うっすらと開き、老婆を見上げる少女の瞳は、暗い路地でもよく判る蒼色だった。
「はい、温かいスープよ。どうぞ、召し上がって」
湯気がたったスープが入ったスープ皿が、少女の前にコトリと置かれた。
『……いいん、ですか』
「もちろんよ。お口に合えばいいのだけれど」
『……いただきます』
「どうぞ、いっぱい食べてね。って言いたいけど、本当はそれほどなくて、ごめんなさい」
少女は軽く辺りを見回した。老婆の家は小さく、裕福とは言い難かった。
『いえ、これで十分です。ありがとうございます』
「どういたしまして。私、エリサっていうの。お嬢さん、お名前は?」
『……アイリス、です』
「そう、アイリスちゃんっていうの。かわいい名前ね」
老婆、エリサ・カディックは胸の前で手を合わせ、嬉しそうに言った。
「アイリスちゃんは、どうしてあんなところに?」
エリサは、スープを飲み終わり『ご馳走さまでした』と言ったアイリスに控えめに声をかけた。
『……私、親に捨てられて、行く宛てもなくて、それでお腹が空いて、それで……』
「そうだったの……。辛かったわね、大変だったわね」
『いえ。だからエリサさんにはとても感謝してます。本当にありがとうございました』
申し訳なさそうに頭を下げるアイリスに、は優しく微笑みかけた。
「いいの、気にしないでちょうだい。私もひとりで寂しかったの」
『……ありがとう、ございます』
再び頭を下げるアイリスを見て、エリサは何かを思い付いたように、
「……そうね、そうよ。アイリスちゃんがよかったら、ここで一緒に暮らさない?」
『え?』
「見た通り、あまり裕福じゃないから苦労かけると思うけど、この家ね、誰かに譲ろうと思ってたの」
『そんな、そこまでしてもらうわけには……』
「実はね、私、近々娘夫婦たちと一緒に暮らすことになってるの。だからこの家は空いてしまうんだけど、思い出もあるから潰してしまうのも、って思っていたところなのよ。アイリスちゃんでよければ使ってちょうだいな?私もその方が嬉しいから。ね?」
思いもよらない申し出に戸惑うアイリス。
しばらく考えて、
『……本当にいいんですか?』
「ええ、ええ、もちろんよ!私の迎えがくる日がまだはっきり決まってないから、それまでよろしくね、アイリスちゃん」
『何から何まで、すみません。よろしくお願いします』
「もう自分の家だと思っていいからね」
こうして、少女と老婆の共同生活が始まった。
エリサはアイリスに色々教えた。
「そこはもう少し離れたところから針を入れて、縫いたいところに針を出して、玉結びを布の中に隠した方がきれいにできるわよ」
『……はい、こう、ですか?』
「そうそう、そんな感じよ!」
パッチワーク、
「このハーブは飲むことももちろんできるけど、すり潰せば火傷に効く塗り薬にもなるの」
『すごい働き草ですね、このハーブ』
「フフッ、そうでしょ」
ハーブについて、
『…………』
「あらあら、絡まっちゃったのね。……こういう絡まり方をしたら、ここを引っ張ると、ほら、」
『……解けた』
「それで、ここはこうやって編むのよ」
編み物。
そして、エリサはアイリスを気遣ってか、アイリス自身のことは何も聞かなかった。
その代わり、自分の今までの思い出を話して聞かせた。
「私が夫と出逢ったのは、アイリスちゃんよりももう少し大人になったときだったかしら」
『どこで逢われたんですか?』
「大学のとき。彼、大学教授の助手をしていたの」
夫との出逢い、
「それであの人ったら、実験に私が作ってあげたお弁当を使ったのよ?」
『それは……酷いですね』
「そうでしょ?」
夫と喧嘩をしたときの話、
「娘が生まれて、大学を卒業して、就職して、結婚して、孫ができて。とても早かったわ。それでいて、とても幸せだった」
家族の話。
それはまるで、誰かに自分の存在を遺すように――――――。
「あら、もうこんな時間。アイリスちゃんは聞き上手だから、話が進んじゃうわ」
『そうですか?初めて言われました』
「あら、じゃあみんな照れてたのね」
エリサはクスクスと笑った。
アイリスが来てから10日目の夜。
『そうでしょうか?』
「そうよ、間違いないわ。……さ、もう寝ましょう」
『はい。おやすみなさい、エリサさん』
「おやすみなさい、アイリスちゃん」
お互い挨拶を交わし、エリサはベッドに潜り込んだアイリスを見届け、寝室から引き上げ。
エリサはそのまま本棚に足を向け、分厚い本を一冊手に取り、揺り椅子へと腰掛けた。
本の表紙を開くと、そこには沢山の笑顔が溢れていた。アルバムだ。
エリサは1枚1枚、貼られている写真をゆっくりと眺め、そして愛おしむように写真の中の笑顔を撫でた。
「……いつ、来てくれるのかしらね、」
『殺し屋さん、ですか』
「!!」
声のした方へ振り返れば、そこにはベッドに入ったはずのアイリスが立っていた。
「アイリス、ちゃん……。貴女、どうして……?」
何かを問おうとしたエリサの目の隅に映った時計は、あれから4時間は経っていることを主張していた。
「どうして……殺し屋って、貴女……」
『…………』
アイリスは答えず、蒼い瞳で、真っ直ぐエリサを射ぬいた。
エリサはその視線の意味を悟り、息をゆっくり吐き出した。
「そう、貴女が殺し屋さんだったのね」
『………』
「ひょっとして、私のことも……?」
『ええ、貴女自身が依頼者だったことは最初から気付いてました。依頼者の名前、並べ替えると貴女の名前になりますから』
「そこまで気付かれていたのね」
エリサは捻っていた体を正面に戻し、自嘲的な笑みを浮かべた。
アイリスは、そんなエリサの横顔を感情のない瞳に映していた。
「……どうして今まで私のこと、殺さなかったの?」
『私は依頼を受けてすぐに殺すわけではありません。標的のことを知り、その人に合った死に方を届ける、それが私の殺し方です』
「そうだったの。遅いから心配してしまったわ。……それで、私の殺し方は決まったのかしら?」
『ええ、決まっています』
「……聞かせて、もらえるかしら」
『私は貴女を、殺さないという殺し方を選びました』
「殺さ、ない……?」
『はい』
信じられないと、エリサは徐に椅子から立ち上がった。
殺し屋から殺さない宣言をされたからか、かなり動揺しているらしく、珍しく声を荒げる。顔面蒼白だ。
「ど、どうして!?どうして私を殺してくれないの!?お金?お金が足りなかったの?」
『いえ、違います。金額は関係ありません。言いましたよね、標的のことを知り、その人に合った死に方を届ける、それが私の殺し方だって。私は貴女を知り、殺す必要がない人間と判断しました』
取り乱したエリサの様子を見ても、アイリスは顔色一つ変えることはない。
「そんな……。私は、私は死にたいの」
『……残念ですが』
「どうして……?私は、ずっと淋しかったの……。夫は病気で、娘が働きだしてすぐに亡くなってしまった。でも、まだ私には娘がいた。結婚して出て行ってしまったけど、よく会いに来てくれたの。あの子、人を見る目があったのね。相手の人もとてもいい人だった。私も歳だったから、友人達も亡くなってしまって、人見知りだから新しい友達も出来なくて、1人になってしまった私のことも、2人で支えてくれて。そして孫が生まれたの。一度病院へ見に行ったけど、とても可愛い女の子で……。娘が、退院したら一番に会いに来てくれるって約束してくれて、楽しみだったわ。待ち遠しくて、幸せだった……」
『………』
俯いているため、エリサの表情は伺えない。アイリスは黙ってエリサの話に耳を傾けていた。
「でもね、退院して、ここに来る途中で……。――――――事故だったの。馬車の前を信号無視の車が通って、馬が驚いて暴れてしまって、他の車と衝突……。大事な人がいきなり、そろっていなくなってしまったの……」
エリサは俯いていた顔を上げ、立ち上がった。その瞳は泪に濡れていた。
変わらない表情で、変わらない姿勢で立ったまま、ふらふらと近づいて来るエリサを見つめ続けているアイリス。
そんな彼女の足に、エリサは躊躇なく縋り付いた。
『エリサさ――――――』
「お願い!私を殺して!」
老婆の涙が少女の足を濡らしていく。
「贅沢だっていうことは判ってるの。死にたくないのに死んでしまう人も世界には大勢いるのに、その人たちに悪いと思ってるわ!でももう堪えられないの!独りは堪えられないのよ!皆のところへ……逝かせてちょうだい……お願いよ……アイリスちゃん」
『――――――贅沢なんかじゃないです』
「……え?」
エリサは徐に顔を上げた。
蒼い、感情を感じさせない瞳が、それでも優しく見下ろしている。
『贅沢かどうかなんて、蚊帳の外にいる第三者が、目に見えて不幸な方に同情して勝手に決めていることにすぎません。所詮、自分の痛みは自分にしか判らない。個人の生きる世界状況を考慮していれば、他者と比較して贅沢云々なんて概念、存在するはずありません』
自分が辛いと思っていることは事実で、それを他者と比較することなんて、できるわけがない。
そこには以上という概念も、以下という概念もない。辛いものは、辛い。
そう言いたいのだろう、アイリスは。
ならば何故、
「何故、殺してくれないの……?」
『貴女が死にたがっているのは、貴女の心に穴が空いてしまったからです。そしてその穴は、失ってしまった以上もう元に戻すことは出来ない。でも、埋めることならできます。貴女がそれを望み、努力するのなら』
「埋、める……?」
『そして、貴女にはその穴を埋める力がある。私はそう判断しました。それに――――――』
「それに?」
アイリスは縋り付いている腕をやんわりと外し、エリサに視線を合わせ膝を付いた。
『貴女のような人が死んでしまうのは、勿体ないです』
『この教会に、シエナ・アトリーというシスターがいます。貴女の穴を埋めるのを、きっと手伝ってくれます。今までお世話になりました。楽しかったです。それでは、お元気で……』
あの後、エリサにメモを渡すと、アイリスはそれだけを言い残し去って行った。
窓から朝日が差し込んできた。
長いようで短かった、短かったようで長かった、そんな夜までもが、彼女のように静かにさよならを告げている。
変われるだろうか?今からでも。
あの時の幸せは戻って来ない、絶対に。だが、もう一度、あの時とは違う幸せを手にすることはできるだろうか?
もう一度、生きていくことはできるだろうか?
エリサはその場に座り込んだまま、いつもと変わらない、でもどこか新鮮な朝を迎えた。
一筋の涙が頬を伝った。
* * *
「あ、あの!すみません、シエナ・アトリーさんという方は……」
エリサは教会を訪れていた。あの殺し屋からもらったメモを頼りに。
入るのを躊躇していると、一人のシスターが声をかけてきた。そしてメモに書いてある名前を出すと、近くの椅子に座って待っているように言われた。
「お待たせしました!」
一体何者なのかと緊張して待っていると、聞こえてきた明るい声。
黒い修道服に身を包んだ少女は、あの殺し屋と同じぐらいの年頃だろうか。
そんなことを考えていると、眩しいぐらいの笑顔を向けられた。
「始めまして、シエナ・アトリーです」
「は、始めまして……!エリサ・カディックです」
思わず立ち上がってしまった。
シエナは少し驚いた顔をしたが、笑顔で座るように勧める。
老婆は恥ずかしそうに、おずおずと座った。
「今日はどうされました?」
「あ、あの!私、家族も友人もいなくて、寂しくて、死ぬことさえ考えていました。そんな私でも、もう一度、生きていくことはできるでしょうか?誰かと一緒に……」
シエナは迷うことなく、こう言った。
「もちろんです!生きることに誰かの許可は必要ありません。貴女の家族を作ることはできませんが、友人なら作ることができます。家族のように親しいぐらいの友人だって……。焦る必要はありません。ゆっくりいろんな人達と会って、仲良くなっていきましょう!
――――――それではまず、是非、私のお友達になってください」
嗚呼、私はこれからも生きて行けそうです。
しかも、自ら死ぬことを選ぶことも今後一切なく。
こんな道があるなんて、私には思い付かなかった。
思い付いていたとしても、行動には決して移せなかっただろう。
そんな私の背中を押してくれたのは、殺し屋さんと過ごした短い日々と、あの言葉。
ありがとう、
不思議な殺し屋さん。
私はこの心に空いた穴を、少しずつ埋めて生きて行きます。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
こんばんは、渡月です。
またもやこんなに長くなってしまって、すみません;
もう少しまとまった文が書けるようになりたいです……。
今回は、アリスの一仕事場面を書いてみました。
彼女は殺し屋は殺し屋でも変わった殺し屋だってことをアピールしたかったんです。
そして、彼女の親友、シエナの職業を明らかにしてみました。
殺し屋とシスター、絶対合わないし、会わないだろうという組み合わせ。
この2人が何故こうなったのか、また過去編(?)で書こうと思ってます。
でもあと一人、出したい人物がいるので、その人物が出てきてからかな~、と予定してます。
さて、アリスが指摘したエリサの名前の並べ替え。
あれは、文字を並べ替えるという転置式暗号です。
よく使われるので有名ですね。
これを考えてたせいで、話は出来ていたのにアップできなかったという裏話が……
でも、こんな伏線らしきものがなくても、わかっちゃいましたよね~
差出人とターゲットが同一人物だってorz
ああ、文才が欲しい……!
と、無いものねだりはここまでにしておきましょう。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました!
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